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研究所立地は関東圏に一極集中?

 当経済レポートで03年以降、向上の新規立地のフローで関東臨海、東海、近畿内陸・臨海の大都市圏に回帰していることを、経済産業省「工場立地動向調査」(敷地面積1,000平方丹幣紊旅場)から明らかにした。ただし、新規工場立地がそうであっても、経済産業省「工業統計表」の「用地・用水編」から、工場のストックベースでは必ずしも大都市圏の比重が高まっているわけではなく、むしろ地方での格差が拡大していることが問題と指摘した。


 今後の工場の存続は、その工場が企業の中核工場かそうでないかで影響される。中核工場は研究開発機能と一体となった工場で、一般の工場が国内外に移転や集約化されやすいのに対し、中核工場は動かし難いためである。情報通信技術の発展で、研究開発機能の立地自由度は高まったという意見があるが、企業の研究開発は新製品開発で中心で、生産機能と結びついている。


地域別研究所立地数の推移
 新製品を開発し、実際に生産に入る場合、担当した研究・技術者と生産現場労働者が協力し合う必要がある。また、生産工程におけるトラブルや製品の苦情の原因究明は研究・技術者が行うため、これらの研究開発機能は工場と一体で立地することが望ましい。このように研究開発と一体になったのが中核工場で、単に生産機能を担う工場とは区別できる。


 研究所のストックベースの統計はないが、30年ほど前に、神奈川県の委託で製造業の研究所の立地動向を調べたことがある。この調査で神奈川県が日本1の研究所集積地であると分かった。その後、当時の長洲神奈川県知事が「頭脳センター構想」を打ち出し、研究所の誘致を進めたことがあり、神奈川県の研究所集積は一段と進んだと推測される。


頭脳センター構想の真似だと思うが、経済産業省が1983年に、地域で研究所の集積を進める高度技術工業集積地域開発促進法(テクノポリス法)を作り、これを受けて全国で誘致合戦が起こった。結果、26の地域が指定されたが、最近ではほとんど話題にならない。


 研究所のフローの統計は「工場立地動向調査」で集計されている。ただし、研究所が調査対象になったのは1985年からで、インターネットでは89年から得られる。この頃はバブル期で、バブル崩壊後も93年まではバブルの余韻からか、比較的立地件数は多かった。ちなみに、89年以降で最も多かったのは89年の63件で、減少した93年は38件である。翌94年は18件と大幅に減少している。


 「工場立地動向調査」の08年の実績が発表され、89〜08年の統計が得られる。この間の区分けを、研究所立地の多かった89〜93年の5年間と、急落した94年からその後は回復し、それが一巡傾向になった98年の5年間、そして今回の景気回復が明確になった03年以降の08年までの6年間、その間の99〜02年の4年間の4区間に分けて地域間の研究所立地動向をみる。年平均立地件数は89〜93年の48.6件に対し、94〜98年24.2件、99〜02年23.3件、03〜08年21.3件と半減以下になり、かつ、減少傾向にある。


 地域別では、多かった89〜93年と94〜08年の比較で、大都市圏の関東臨海と関東内陸を合わせると、全国シェは30.5%から33.5%と顕著に増えている。一方、近畿臨海と近畿内陸を合わせた近畿は15.6%から15.7%とほぼ横這い、東海は15.6%から11.9%と大幅減少である。


 その他の地域は低水準でのせいぜい横這いである。その中で、北九州が3.7%から8.5%と急増である。しかし、これも03〜08年では4.7%と低い。全体的にみれば、バブルとそのその余韻がある90年代初めまでは研究所の立地が盛んで、地方にも立地が進んでいた。ところが、90年代半ば以降は研究所立地が減少する中で、関東圏への1極集中傾向になっている。ここでも地域間の経済格差拡大がみられ、将来においても工場の存続が地方に厳しいといえる。また、地方での研究開発は民間に任せないとなれば、地方の大学や公設試験研究機関が担うしかない。ところが、国の予算配分では、地方の国立大学は不利になってきており、ここでも格差拡大を促進するように働いている。

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| 2009年05月01日 | 政策 | comments(0) | - |
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